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corner of kanto 『浅川』

1.はじめに

 この作品は、corner of kantoのファーストアルバム「昼の庭」に収録されている『浅川』に映像をつけたものである。浅川とは、東京都八王子市及び日野市を流れる一級河川のことだ。corner of kantoというバンド名の通り、彼ら全員が関東地方の端に所縁があり、ボーカル、ギター、ドラムはまさにこの浅川が流れる八王子と日野の出身である。
 私もcorner of kantoもまだ本格的に作品制作や活動をしていなかった2013年頃(彼らは当時From the corner of kantoというバンド名だった)、彼らにミュージックビデオの制作を頼まれた。デモアルバムに収録されていた『月の空気』という曲に映像をつけるように頼まれ、その時に撮影場所として選んだのが浅川だった。その映像のストーリーは八王子駅を出発したメンバーが何度も街の中ですれ違い、最後のサビで浅川に集合して演奏するというものであった。
 残念ながらその作品は未完に終わってしまったのだが、浅川で映像を撮影したいという思いはずっとあった。そして、2016年の夏に3年の時を経て再び彼らから映像を依頼され、浅川についての作品をようやく完成させることができた。
 前置きが長くなってしまったが、これは2017年4月に公開されたcorner of kanto『浅川』のミュージックビデオの解説である。作品を見ていない方は、冒頭のリンクから見ることができるので、ぜひ見て欲しい。

2.歌詞との対応関係について

駅前で揺れる 尽くされたい人の音

街の中で お前は窶れる

幸せの形を お前は探す

川の音が聞こえる しんしんと

 

ねぇお前は何故 自分の世界を変えなかったのか

枕木は列をなし 浅川は山を背にし

あわの音が聞こえる

 

ねぇお前は何故 自分の世界を変えなかったのか

浅川は何も知らず 俺は無視を決める

お前はそう言って 昼の庭にお前がいる

 

corner of kanto『浅川』(作詞:矢部諒)

浅川は何も知らず 俺は無視を決める
お前はそう言って 昼の庭にお前がいる

 私がミュージックビデオを作る時はいつも最初に歌詞の分析から始める。歌詞は曲の情景を言葉で表現しているものである。歌詞を読めば、その曲が表現したい風景や感情のイメージが浮かぶようになっている。もちろん、歌詞だけではなく、音楽そのものからも風景などを感じることもあるだろうが、歌詞のイメージとかけ離れてしまっては、ミュージックビデオが持つ曲の映像化という本来の目的には合致しない。
 『浅川』の歌詞は、一人称である主人公(以下「俺」とする)が「お前」に語りかけるという形式をとって、「お前」の人生について問うという物語である。市街と自然を自由に飛び回り、俯瞰と接写を繰り返しながら自己の思考を深めていき、やがて「俺」と「お前」の境がなくなっていく。そのような歌詞の魅力を映像で表現したいと思い、水面をモチーフとして選んだ。ゆらゆらと揺れ、不思議なリズムを奏でている水面を、自己の内面の動きと重ね合わせることで、白と黒の決着を簡単につけることをしないcorner of kantoの歌詞の思想を表現することができたと思う。

 

3.楽曲との対応関係について

 歌詞で大まかなモチーフや物語の枠を決めた後は、曲の構成の分析をする。ミュージックビデオは映像が勝ってしまっても、音楽が勝ってしまっても良いものにならないと考えている。音楽を確実に映像化し、音楽の理解をより豊かなものにすることが、良いミュージックビデオであり、私の目指しているところである。ミュージックビデオを作る時には、想像によって映像を作り出すというより、音楽という与えられた要素があって、それを繰り返し読み解いていくことによって正解にたどり着くという感覚で作っている。
 『浅川』の構成は、前奏と「駅前で〜しんしんと」までの部分で、曲全体を通して何が表現されるかの状況説明が行われる。そして「ねえお前はなぜ〜あわの音が聞こえる」の部分が、直後の1分半以上もある壮大な間奏を挟んで展開するという構成である。その構成に合わせて映像も、「状況説明→展開1(俺とお前の対峙)→思考の世界→展開2(俺とお前の対峙)→解決」という流れにしている。
 『浅川』は曲の中で基本となるモチーフがとても少ない。そのため映像も横顔と水面を基本として、そこに最低限のものを付け加える映像にしている。個人的にも、必然性のない映像を組み合わせてウェルメイド風に見せる映像が好きではないので、最低限の組み合わせで構成し、できる限り何が映っているかよりも全体の構成に着目できるような映像にした。

 

4.物語について

 このミュージックビデオの物語は、主人公がもう一人の自分に語りかけるという形をとっている。私はこの歌詞を見たときに「ねぇお前は何故自分の世界を変えなかったのか」という言葉を一番誰に言われたくないかを考えたのだが、自分自身には言われたくないと思った。この言葉は、後悔の言葉でもなく、解決すべき問題の提示でもなく、もう過ぎ去った出来事に対して責任を問う残酷な言葉である。
 この曲の歌詞における自然音の描写は、残酷な問いを自分自身から投げかけられた主人公の長い沈黙のために聞こえてくる自然の音を表現しているように思える。また1分半以上ある長い間奏は、主人公の思考が奥深くまで向かってしまった様子を表しているように感じる。
 そして、2度目の「ねぇお前は何故〜」の後、歌詞は以下のように続く。

彼は長い沈黙を破って、「浅川は何も知らず 俺は無視を決める」と答え、昼の庭にいるのである。「何故自分の世界を変えなかったのか」という辛辣な問いに対して、独自の方法で答えを見つけたのである。 実はこのミュージックビデオは『私たちの伴奏曲』と連作になっていて、『浅川』→『私たちの伴奏曲』の順で見ると物語が繋がっている。『浅川』で奥に歩いて行った主人公と、浅川で演奏をしていたバンドのその後を描いたのが『私たちの伴奏曲』である。『私たちの伴奏曲』については、また別の文章で解説するので今回は紹介までとする。

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