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oh yes aha『桃色じゅうたん』

1.はじめに

 「何か一緒にやろう」というような抽象的な話は、なかなか実現しないものだと思っていた。oh yes ahaのボーカルの小林太一さんとは、2018年に大塚meetsで開催されたcorner of kantoの企画「端vol.2」で初めてお会いし、その時に小林さんがcorner of kantoのミュージックビデオを褒めてくださり、「ぜひ何か一緒にやれたらいいですね!」という話をした。以前からoh yes ahaの『ドルフィンだ』や『さめざめ』などの曲を聴いており、彼らの独特な言葉のセンスや不思議でポップな曲調が気に入っていたので、本気で一緒に作品を作れたら良いなと思っていた。
 それから半年以上が経過し、そのような話をしたことも忘れかけていた2019年2月末、小林さんから本当に連絡が来た時には驚いた。ディスクユニオンのレーベルからアルバムを出すことになったので、そのリードトラックのミュージックビデオを制作してほしいというものだった。
 今回は、その『桃色じゅうたん』のミュージックビデオについての文章である。このミュージックビデオは、2019年の5月に公開されたもので、もう1年以上も経ってしまったが、これが公開された時に、私は「いつか解説を書きますね」と数人と約束をした。彼らとの約束を果たすため、そして、制作した映像について映像以外の言語で説明することの必要性に駆られて、解説を書いたので、ぜひ読んでいただきたい。

2.曲の構成について

 このミュージックビデオは、まず最初に構成から考えた。最初に『桃色じゅうたん』の音源を聴いた時に、「見えない、見えない」からはじまる大サビで一気に世界が開けるようなイメージを感じ、この大サビを映像のクライマックスにしたいと思ったからだ。
 この曲は、サビから始まり、リフ→Aメロ→Bメロ→サビと進行し、「切れ味のよい〜」という歌詞の部分で唐突に曲調が変化したCメロになる。その後の「だからいたって〜」の部分は、サビの後半部分(「だから笑って〜」)の展開バージョンになっていて、それが2回繰り返された後、大サビに入り、またリフに戻るという構成になっている。
 このような構成から考え、前半で状況を提示すること、Cメロで突然物語の解決の糸口をつかむこと、解決策の提示は前半部の回収であること、冒頭のリフで使った映像を最後のリフでもう一度使うことの4つを条件に映像を作っていった。特にリフの映像は、冒頭のサビの直後と大サビの後という物語の構成上の鍵となるような箇所になるため、印象的な映像にしたいと思った。
 リフの映像は、鉄塔を下から見上げて回転している主人公の主観ショットにした。彼らの活動拠点の一つである川越市にロケハンに行った時に、鉄塔が平野に規則的に並んだ景色がとても印象的だったので、その景色を見て、リフの映像は鉄塔にすることに決めた。
 ぐるぐるとひたすら回転するだけの映像は、同じことが繰り返される日常の象徴としての役割を持っているが、鉄塔の下で上を見上げて回転する主人公の行動は非日常的で不可解だ。鉄塔の下で所在なさげに回転している主人公の主観ショットとしてこの映像を繰り返し使うことで、日常の中から発見される非日常性を表現できたと思う。

 

3.歌詞について

ままならぬままにありのまま まるで僕ら桃色気分だね
あどけない君の喋り方 それが僕を素直にさせてくね
だから笑ってだから笑って だから笑った今を笑った

風を探して 風を探して

あたりまえだと思っているやさしさと
あたりまえだと思っている悲しさが
あいまって日常を彩る
さあじゅうたんに乗って空を駆けよう

しまった見たことない景色がほら すぐそこにある

簡単な答えだってことは 解いた後にわかるようです
わかるようです

ままならぬままにありのまま まるで僕ら桃色気分だね
あどけない君の喋り方 それが僕を素直にさせてくね
だから笑ってだから笑って だから笑った今を笑った

風を探して 風を探して

切れ味の良いバターナイフを 片手に持つ手左利き
切れ味の良いバターナイフを 片手に持つ手左利き

だからいたって僕らは普通で あたりまえなんだな
街並みは構えて
飛び交った言葉は いつだって流して過ごしてた

見えない見えない見えない見えない
それでも僕はいる愛ならここにある
全て飲み込んで変わらず舞っていけ
やっとわかったんだ涙は隠して
桃色じゅうたん乗っかって

見えない見えない見えない見えない
それでも僕はいる愛ならここにある
全て飲み込んで変わらず舞っていけ
やっとわかったんだ涙は隠して
桃色じゅうたん乗っかって

oh yes aha『桃色じゅうたん』(作詞:小林太一)

『桃色じゅうたん』の歌詞は、日常に対して不満もないが特に満足しているわけでもない主人公が、変化のきっかけ(=風)を探しているのだが、突然今のままで良いのだという気づきを得て、主人公が平凡だと思っている日常を肯定し、決意を抱いて進んで行くというストーリーだと考えた。バターナイフ(一般的には右利き用に作られている)を左利きで持つ不器用な「僕ら」が「あたりまえ」を受け入れ、一つ乗り越えた視点で(=桃色じゅうたんに乗って?)、また日常を繰り返していく。そのような日常に対する前向きな感情をこの映像では描きたいと思った。
 平凡な日常を肯定的に受け入れる物語を表現するために、劇的で非日常的な映像にならないように、なるべくシンプルで静かな構図が繰り返される映像にしている。固定で撮影した動きのない同じような構図を並べたり、鉄塔の映像が繰り返し挿入されたり、前半部分で通った場所と同じところを歩いたり、大サビで冒頭のサビと同じシーンに戻ったりすることによって、繰り返される日常の中で、それを肯定するような新たな視点を手にした主人公の姿を描いた。
 物語の重要な転換点であるCメロと大サビは、シンプルな繰り返しを基本としたこの映像の中でも少し変化を出したかった。Cメロでは、カーブミラーで自分の姿を見た主人公が自分と対面し、突然気付きを得る様子を、カーブミラーのなかに映った主人公に向かってだんだんクロースアップしていくカットを連続させることで表現した。また、大サビでは、主人公がこれまで捉えていた世界を超越したことを表現するため、主人公が突然カメラ目線でこちらに向かって語りかけてくるという手法をとっている。
 とても個人的で、他者を介在せずに解決しているストーリーであるにも関わらず、なぜか主人公に共感してしまうということが、この『桃色じゅうたん』という曲をはじめとしたoh yes ahaの不思議な魅力だと感じているので、映像でもそれがうまく表現できていれば良いなと思う。

 

4.おわりに

 この映像を作る時のノートを見つけ、一番最初のイメージを書き付けたメモを読んだら、「かわなかのぶひろ『Kick the World』を主観ではなく客観にしたみたいな」と書いてあったのだが、果たしてそんな映像になっているのだろうか。その他にも、「演じることと日常の間」や「自分たちの常識を中心に置く」などのメモがあったが、もう今となっては、そのノートのほとんどのメモが、一体何のことだかよく分からなかった。制作から時間が経ちすぎたせいで、解説を書くのが本当に大変だったが、自分の作品を改めて客観的に見る機会になったことは良い経験だった。
 映像を映像として理解することはとても重要な体験だが、映像の体験や思考を言葉で伝えることも、映像をさらに深く理解するために大切だと思う。私は、もっとたくさんの映像作家に自分の作品の解説をしてほしいので、そのうち何人かのミュージックビデオの監督にインタビューでもしようかと思っている。

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