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corner of kanto『私たちの伴奏曲』

1.はじめに

 2018年11月に『浅川』についての解説文を書き、その中で『私たちの伴奏曲』についての解説を書くという宣言をしていたので、今回はそれについて書いていく。
 corner of kanto『私たちの伴奏曲』は、前回書いた『浅川』と同様、彼らのファーストアルバム「昼の庭」に収録されている。「昼の庭」収録曲からミュージックビデオをいくつか制作することを考えた時に、最初私は『浅川』『暗渠』『昼の庭』の浅川3部作(と呼んでいた)で連続ものを作ろうと彼らに提案したのだが、制作労力や発表時期などの都合で叶わなかった。
 『浅川』のミュージックビデオを発表した後、彼らの2回目の企画「端vol.2」に合わせて『私たちの伴奏曲』のミュージックビデオを作ることを依頼された時に、これを利用して以前に構想した連続ものを撮ってしまおうと考えた。ちょうど、前作の『浅川』のラストは続きの物語がありそうなカットで終わっているし、アルバム「昼の庭」に入っている曲はみんな共通した一つの物語があるので、連作にする方が良いのではないかと考えた。
 以下は、2018年3月に公開されたcorner of kanto『私たちの伴奏曲』のミュージックビデオの解説である。『浅川』と『私たちの伴奏曲』を観たことがない人は、この解説を読む前にご覧いただきたい。

2.前作『浅川』との連続性について

 『私たちの伴奏曲』のミュージックビデオは、前作『浅川』の続編として制作した。前作は、もう一人の自分と対峙した主人公が、自分自身の問いに対して独自の答えを見つけ、もう一人の自分と決別するというストーリーである。今回はそのストーリーのその後、浅川で演奏しているメンバー4人と、浅川から立ち去った主人公が、それぞれどのような道に進んだのかという物語を描いた。前作の『浅川』が自己との決別をテーマにしているとするならば、『私たちの伴奏曲』は捨て去った自己との統一化をテーマにしている。
 前作の構想は、2016年の夏頃から行なっており、この頃は大学卒業や大学院入学、その他自分の私生活に様々な変化が訪れた後であった。大学に在籍していた頃からではあったが、新しい環境になってさらに、私は過去の自分と現在の自分の連続性について思い悩んでいた。そのような環境もあり、『浅川』はこれまでの自分を捨て去り、新たな自分として生きていくことをテーマにした。
 それから1年経った2017年の夏に、私は正式に大学院を中退し、就職が決まった。その他の問題についても、一通り自分の中で折り合いをつけることができた。心残りだったのは、自分の現在と過去が一続きになっていないことであった。そんなこともあり、『私たちの伴奏曲』は、過去に置いてきた自分と現在の自分との一体化というテーマになった。
 テーマを私物化しすぎたような気もするが、きっと私だけではなくcorner of kantoのメンバーやミュージックビデオを視聴している人たちも、きっと同じようなことを考えたことがあるだろうと思うので、それぞれ個人的な思いを投影しながら見てほしい。

 

 

3.ドローンによる空撮について

 今回のミュージックビデオの特徴は、ドローンによる空撮だ。『私たちの伴奏曲』を聞いた時に、歌詞や旋律から、広大な大地や上空に広がる空のイメージを感じた。歌詞の中には「空」「風」「紙飛行機」「空気」など、上空を連想させる言葉がたくさん出てくる。
 さらに、この歌詞には主語となる人物は登場せず、誰の視点で語られているのか分からない、何か超越した存在のような雰囲気を感じる。そんなイメージをこの曲から感じたので、上空から被写体を見下ろすことができ、とても広い視野を持っている視点が曲のイメージに合っていると思い、ドローンで撮影することにした。歌詞は以下に引用した。

やせた空に 薄水色の 風が吹いている
昨日の地熱が こおり鬼のよう 逃げ切れず

泥を握り 頰になすった
兆しのあと
紙飛行機の尾翼を境に 違う世界がやってくる

今は
服の中にだけ 汗をかいて

体を翻して
空気を胸に溜め込んで
燃え上がる左腕が外気に触れ

知らない
山向こうの町に 変じた

体の残りかすが
現実と離れた場所に一番近いと
二人の内側から囁いて

ドローンによる移動撮影をすると、意味もなく感動的な映像になってしまうので、あえて動かさないことにした。動かさないことで、広がりがあるような無いような、感動的なようで無味乾燥な独特の世界観を作ることができたと思っている。
 また、独特の視点を表現するために固定と手持ちの使い分けを行なった。固定の部分はドローンで撮影したものも含め、超越的な視点を表現していて、手持ちの部分は演者との近さを表現している。手持ちで撮影したカットを使っているのは2回出てくるサビだけで、どちらも手持ちで同じメロディを撮影しているが、前半はメンバー全員が一人で演奏していて、後半は4人が一緒に演奏しているという違いがある。ストーリー上、メンバー4人が一緒に演奏するという部分が最も重要なので、より後半部分が印象的に見えるように同じ手持ち撮影で対比が際立つようにした。
 ちなみに、後半のサビ前の間奏でメンバーが次々に草原に集まってくるシーンがあるが、これはメンバーがcorner of kantoに加入した順になっている。

 

 

4.おわりに

 前回の解説では、どのようにしてミュージックビデオを構想しているかということを重点的に書いたので、今回は思想的な部分について書いてみた。映像を作るときには、撮影機材、記録媒体、物語、構図、1つのカットの長さなど、様々な選択が必要となる。完成した作品で使用されたそれぞれの選択について、自分の中で何らかの説明ができることをルールとして映像を制作している。言葉ではなくイメージによってしか説明できないこともあるが、それでもなんとなくではなく、自分の中で説明ができる程度には意識的に選択を行いたいと思っている。
 映像が簡単に撮影でき、誰でも作れるようになった今だからこそ、映像作品はもっと意識的に作られるべきである。今後も作品作りの際には、常に心がけていきたい。

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